2019年12月25日
タイイングしていて、いろいろと考えた
随分と久しぶりにスタンダードパターンのフライを巻いた。
ここしばらくはハッチマッチの釣りを基本スタイルにしていることもあり、水生昆虫の勉強をしたり折々の虫を模したりしているので所謂スタンダードパターンとはすっかりご無沙汰していた。
結果、へっぽこフライのの出来上がりとなる訳ですな。
ここしばらくはハッチマッチの釣りを基本スタイルにしていることもあり、水生昆虫の勉強をしたり折々の虫を模したりしているので所謂スタンダードパターンとはすっかりご無沙汰していた。
結果、へっぽこフライのの出来上がりとなる訳ですな。
キャッツキルパターンと言えばセオドア・ゴードン、そして彼の代表作のクイルゴードン
僕がフライフィッシングを始めた頃(70年代)には、19世紀にイギリスからアメリカに渡ったドライフライは、既に東海岸の河川を中心にキャッツキルパターンとして完成され、ライトケイヒル、ヘンドリクソン、ジンジャークイルといったパターンは既にスタンダードパターンとされていた。
僕もドライフライと言えばこれらのキャッツキルパターンを中心にタイイングしていたが、如何せんナチュラル素材のマテリアルは(特にジェネスティック・ハックルなどは・・・)とても高価で、若造の僕にはおいそれと揃えられられる物ではなかったが、鳥の羽根に代わり安価な獣毛をウイングやテールに用いたリーウルフのウルフパターンはそんな僕を大いに助けてくれた。フライライトに代表されるいろんなカラーのポリ素材が簡単に手に入る時代になると僕のフライのボディ材はほとんどがシンセティックマテリアルに取って代わった。
魚を釣ることが一番の楽しみだったこの頃はタイイングが容易でよく釣れるフライを量産していた時期で、僕のフライボックスのコンパートメントは色違いのパラシュートパターンで埋め尽くされていた。特にカーフテールのポストにライトジンジャーのハックルを巻いたPMDのパラシュートはこれ一本あれば他には何もいらない程だった。事実そのその時代の数少ない釣り仲間と来たらバイビジブル派だったりブラウンパラシュート派だったりしたもんだ。
僕は、魚が水面を割って姿を現すドライフライの釣りが殊更大好きだったしそれで充分楽しかったのでニンフの釣りはほとんどしたことが無い、今でもニンフの釣りが不得意な所以である。
今より解禁が一か月早かった時代、ニンフの釣りが得意な仲間にシーズン開幕は一歩も二歩も先を行かれたがそれほど気にしたものでもなかった。「ニンフの釣りって餌釣りじゃねえか」なんていきがっていたりした。今でもそういうきらいが無い訳じゃない(笑)
その頃のフライは、水面に有るドライフライ、水中にあるウエットそしてニンフ、小魚を模したストリーマーと言う大雑把な分け方をされてドライフライと言うのはメイフライのダンをイメージしたものだったが、フライフィッシングの世界の進歩には目を見張るものがあった。
ボブ・クイッグリーは羽化に失敗したメイフライが捕食されている事を見つけると「クリップル」を広め、レネ・ハロップは水中のニンフから羽化して成虫になるまでの形態移行期を踏まえたトランジショナルパターンを生み出し、それまでの水上と水中という単純な区分けから羽化のステージを意識したフライパターンへとタイイングの対象も変わって行った。
僕のフライフィッシングの中でかなりの衝撃を受けたのはタシロニンフの発表だった、田代兄弟が作るニンフはまるで本物と見まごう程のフライで有ったが、驚いたのはそこでは無くカゲロウの種類の多さとそれをイミテートするマテリアル(田代ニンフダブ)のカラーの多さだった。
餌釣りを経験したフライマンならそうそう驚く事も無かったのかもしれないが、餌としてのカゲロウの幼虫を詳しく知らない僕にとってニンフと言えばゴールデンフェザントとかハーズイヤーとかソーヤーニンフぐらいしか知らなかったのだから。
幼虫がこれだけの種類存在すると言う事は成虫もそれだけの数、存在すると言う事である。
それらの虫を理解しないとフライフィッシングの楽しみを一つ取りこぼしてしまうのではと言う恐怖心にかられ始めたのはその頃である。
既にスタンダートフライと呼ばれていたキャッツキルのフライ達、「クイルゴードン」のセオドアゴードンも「ライトケイヒル」のウィリアム・チャンドラーも後にイマージャーの世界を拡げたダグ・スイッシャーやカール・リチャーズもその川に棲む虫たちを観察し模したものなのだ。僕はと言うとOrvisのタイイングブックがバイブルで、彼らが模したフライを模していただけだったからだ。この釣りを始めて既に20年が経つと言う頃にである。
それからは図鑑と虫のコンペア作業が始まるのだが果てしなく虚しい作業になる。昆虫図鑑には節の数や触角の形状は記されているものの僕が必要とした色やサイズや羽化に関する情報は殆んど見つけられなかったからである。
そこに光を与えてくれたのは、島崎氏や刈田氏の著書である。水性昆虫の生態まで調べて書かれたこれらの本が僕のタイイングに対する考えを大きく変えた。
マッチザハッチと言う言葉が知らずと口に出るようになった頃、僕にとってマッチの意味は飛んでいる虫や流下する虫に合わせてサイズと色を合わせる位の事だったが、やがてそれ以外の様々な情報に裏打ちされたマッチングに変わった。季節や時間、羽化の方法や捕食のステージにと個体を同定する情報が増えるとそれまでは決め手に欠けた偏食行動にも少しずつ対応出来るようになって行くのである。
その頃には随分とこの釣りにも慣れてきて、それらのステージの事や、季節毎に替わる虫たちの事を少しづつ学習にするようになった。釣りたいだけで魚を追い回していた時代を過ぎて、それらの情報によってフィールドでのフライの選択も明日の釣りを想像しながら深夜に産み出す毛鉤も大きく変わった来た。
メイフライからユスリカから羽蟻から毛虫から・・・。そして使うマテリアルの数も遥かに増えた。
世の中には、様々なシンセティックマテリアルが登場しタイイングの幅がどんどん拡がって行く、情報もネットの海に氾濫して居て想像力はますます広がる。
それが良かったのか悪かったのかは分からない、想像する楽しみは格段に増えたが逆にスタンダードフライのタイイングの基本を無視していたりすることもあって、タイイングの技術は一向に上がらないのである(笑)
拡がり続ける想像力と裏腹にずーっと割り切れずにいることがある、それはかなり昔から気になり続けていた事だ・・。
それはまた次回にしよう。
僕もドライフライと言えばこれらのキャッツキルパターンを中心にタイイングしていたが、如何せんナチュラル素材のマテリアルは(特にジェネスティック・ハックルなどは・・・)とても高価で、若造の僕にはおいそれと揃えられられる物ではなかったが、鳥の羽根に代わり安価な獣毛をウイングやテールに用いたリーウルフのウルフパターンはそんな僕を大いに助けてくれた。フライライトに代表されるいろんなカラーのポリ素材が簡単に手に入る時代になると僕のフライのボディ材はほとんどがシンセティックマテリアルに取って代わった。
魚を釣ることが一番の楽しみだったこの頃はタイイングが容易でよく釣れるフライを量産していた時期で、僕のフライボックスのコンパートメントは色違いのパラシュートパターンで埋め尽くされていた。特にカーフテールのポストにライトジンジャーのハックルを巻いたPMDのパラシュートはこれ一本あれば他には何もいらない程だった。事実そのその時代の数少ない釣り仲間と来たらバイビジブル派だったりブラウンパラシュート派だったりしたもんだ。
ロイ・スティーンロッドのダークヘンドリクソンも好きなフライ
僕は、魚が水面を割って姿を現すドライフライの釣りが殊更大好きだったしそれで充分楽しかったのでニンフの釣りはほとんどしたことが無い、今でもニンフの釣りが不得意な所以である。
今より解禁が一か月早かった時代、ニンフの釣りが得意な仲間にシーズン開幕は一歩も二歩も先を行かれたがそれほど気にしたものでもなかった。「ニンフの釣りって餌釣りじゃねえか」なんていきがっていたりした。今でもそういうきらいが無い訳じゃない(笑)
その頃のフライは、水面に有るドライフライ、水中にあるウエットそしてニンフ、小魚を模したストリーマーと言う大雑把な分け方をされてドライフライと言うのはメイフライのダンをイメージしたものだったが、フライフィッシングの世界の進歩には目を見張るものがあった。
ボブ・クイッグリーは羽化に失敗したメイフライが捕食されている事を見つけると「クリップル」を広め、レネ・ハロップは水中のニンフから羽化して成虫になるまでの形態移行期を踏まえたトランジショナルパターンを生み出し、それまでの水上と水中という単純な区分けから羽化のステージを意識したフライパターンへとタイイングの対象も変わって行った。
僕のフライフィッシングの中でかなりの衝撃を受けたのはタシロニンフの発表だった、田代兄弟が作るニンフはまるで本物と見まごう程のフライで有ったが、驚いたのはそこでは無くカゲロウの種類の多さとそれをイミテートするマテリアル(田代ニンフダブ)のカラーの多さだった。
餌釣りを経験したフライマンならそうそう驚く事も無かったのかもしれないが、餌としてのカゲロウの幼虫を詳しく知らない僕にとってニンフと言えばゴールデンフェザントとかハーズイヤーとかソーヤーニンフぐらいしか知らなかったのだから。
幼虫がこれだけの種類存在すると言う事は成虫もそれだけの数、存在すると言う事である。
それらの虫を理解しないとフライフィッシングの楽しみを一つ取りこぼしてしまうのではと言う恐怖心にかられ始めたのはその頃である。
既にスタンダートフライと呼ばれていたキャッツキルのフライ達、「クイルゴードン」のセオドアゴードンも「ライトケイヒル」のウィリアム・チャンドラーも後にイマージャーの世界を拡げたダグ・スイッシャーやカール・リチャーズもその川に棲む虫たちを観察し模したものなのだ。僕はと言うとOrvisのタイイングブックがバイブルで、彼らが模したフライを模していただけだったからだ。この釣りを始めて既に20年が経つと言う頃にである。
それからは図鑑と虫のコンペア作業が始まるのだが果てしなく虚しい作業になる。昆虫図鑑には節の数や触角の形状は記されているものの僕が必要とした色やサイズや羽化に関する情報は殆んど見つけられなかったからである。
そこに光を与えてくれたのは、島崎氏や刈田氏の著書である。水性昆虫の生態まで調べて書かれたこれらの本が僕のタイイングに対する考えを大きく変えた。
マッチザハッチと言う言葉が知らずと口に出るようになった頃、僕にとってマッチの意味は飛んでいる虫や流下する虫に合わせてサイズと色を合わせる位の事だったが、やがてそれ以外の様々な情報に裏打ちされたマッチングに変わった。季節や時間、羽化の方法や捕食のステージにと個体を同定する情報が増えるとそれまでは決め手に欠けた偏食行動にも少しずつ対応出来るようになって行くのである。
その頃には随分とこの釣りにも慣れてきて、それらのステージの事や、季節毎に替わる虫たちの事を少しづつ学習にするようになった。釣りたいだけで魚を追い回していた時代を過ぎて、それらの情報によってフィールドでのフライの選択も明日の釣りを想像しながら深夜に産み出す毛鉤も大きく変わった来た。
メイフライからユスリカから羽蟻から毛虫から・・・。そして使うマテリアルの数も遥かに増えた。
世の中には、様々なシンセティックマテリアルが登場しタイイングの幅がどんどん拡がって行く、情報もネットの海に氾濫して居て想像力はますます広がる。
それが良かったのか悪かったのかは分からない、想像する楽しみは格段に増えたが逆にスタンダードフライのタイイングの基本を無視していたりすることもあって、タイイングの技術は一向に上がらないのである(笑)
拡がり続ける想像力と裏腹にずーっと割り切れずにいることがある、それはかなり昔から気になり続けていた事だ・・。
それはまた次回にしよう。