地球の楽園「夜泣き谷」へ

老眼親父

2020年08月05日 18:00

秋田県由利本荘市鳥海町の百宅地区にダムが出来ることを知ったのは何年前だったろう。
僕のHPでリンクさせていただいているWebサイト「川の地図」の運営をされているRiverさんのツイートだったと思う。

僕の大好きな子吉川がダムに沈むとは簡単に信じたくはなかったが、事実は事実である。
ダムが出来る前に今一度あの川の流れをみて目に焼き付けておきたい、そう思いながら折々に事業の進捗状況をチェックしていたところ、住民の移転の個別調整も決まり各種の調査を含む関連業務の入札がどんどん進んで行く、今年はいよいよ仮排水トンネルと仮締め切り工事にも取り掛かると言う事、昭和45年から始まった鳥海ダム計画が50年の時を経ていよいよ現実となる。

着工前に川を見る機会はもう今年しかない、弟を誘い秋田県由利本荘市へと向かった。日付が変わった頃「道の駅清水の里・鳥海郷」に付いた、雨は相変わらず止む気配を見せないが、夜が明けるまでここで休むことにした。


鳥海地区は民族芸能の里、「本海獅子舞番楽」の獅子がそれを語る

鳥海山周辺には数々の民俗芸能が存在する、なかでも「猿倉人形芝居」や「本海獅子舞番楽」などの無形文化財も集落とともにダムに消えてしまうのがとても残念だ。
新しく出来る鳥海ダムは高さ81メートル、堤の長さは365メートル、総貯水量は4680万立方メートルという国土交通省直轄ダムで、法体(ほったい)の滝下流の子吉川と右支の百宅(ももやけ)川がダム湖と化す。
ダム建設の背景はさておき、ここ秋田県由利本荘市・にかほ市と山形県遊佐町・酒田市の3市1町が2016年に「鳥海山・飛島ジオパーク」に認定されたこともあり、この川とこの景観がダムに沈むのはいかにも勿体なさすぎると思うのだが。

早朝、目的地の法体園地キャンプ場に着いた、昨夜から振り続けていた雨はすっかり上がっていた。
「法体の滝」を眼前に望むこのキャンプ場はとても広く美しいキャンプ場で、この周辺を釣りするときのベースとしていた。コロナウィルスの影響で、レストハウスのすえひろさんはクローズされていたが、3連休と言う事もあってか普段よりも随分と多くのテントが張られていて家族連れやカップルで賑わっていた。
驚くのは犬を連れたキャンパーの多いこと、いかにも名家の出身を匂わせる気品のお犬様や、キャンキャン喚き散らす小物のお犬様が侍従を引き連れて我が物顔でキャンプ場をうろついている。
この異様な景色を見るたびに僕は「世の中、犬好きだけじゃねえんだぞ!」と心の中で大声で叫ぶのだ。僕は犬好きだけどね(笑)


実写版「釣りキチ三平」のラストシーンに登場する「夜泣き谷」はこの法体の滝で撮影された


「法体の滝」は約10万年前の鳥海山噴火で流れ出た溶岩が川をせき止めてつくった落差約57mの滝で日本の滝100選にも選ばれている。下から見上げてもわからないが、実は3段の滝になっていて目に見えるのが3段目の滝である。柱状節理の上を流れ落ちる滝の姿が如何にも勇壮である。下に掛る赤い橋から滝沿いに遊歩道を上ると滝の上の玉田渓谷がブナの林の中を流れ、流れには大小の甌穴(おうけつ)が見られる。

玉田渓谷は鳥海山に源を発する赤沢川と右支の上玉田川を合わせて法体の滝となるが、鳥海山から産まれた流れが途中大きく方向を変えて滝となって鳥海山と対峙するという非常に珍しい滝でもある。

法体の滝の言われは修行僧が僧衣をまとっている姿(法体)に似ていることに由来するとも、法体である空海がこの滝で行をする不動明王に出会い、この滝を礼拝したことに由来するとも言われる。法体の滝の下流の弘法平には、空海が行をしたと言われる「弘法洞穴」があり、その中には上人の像が祀られているがやがてこれもダムの底に沈んでしまう。


美しすぎるこの流れもダムに飲まれてしまう、しっかりと目に焼き付けておこう


「釣りキチ三平」の実写版の映画のクライマックスに「夜泣き谷」としてこの滝が使われたことはあまりにも有名、最近は「三平の滝」とも呼ばれるとか呼ばれないとか(笑)
因みにこの記事のタイトルに書いた「地球の楽園」は実写版「釣りキチ三平」でこの場所に与えられた呼び名である。


これだけの美しいキャンプ場が無料で利用できるなんてとても信じられない


おそらく僕の人生で最後になるだろう子吉川、その昔、河原の熊の足跡に震えた上玉田川で少しの時間イワナ釣りも楽しんだし、お気に入りのキャンプ場での久しぶりのキャンプも焚火の炎とウィスキーが混沌とした気持ちを休めてくれた。

鳥海山から産まれ日本海へと向かう清い流れとその母なる鳥海山を眺めながら過ごした時間もあっという間に過ぎ去り、何とも言われぬ気持ちを押さえて百宅を後にした。


この透明度はどうよ


僕たちは鳥海山を左手に日本海側の象潟に降りた、秋田と山形に跨る雄大な単独峰を左手に見ながら山形県に出る、そして遊佐町から東に方向を変え最上川沿いに山形県新庄市に出た。往路、新庄市から秋田県湯沢市院内から鳥海町に入った僕らは、ちょうど鳥海山のふもとをぐるりと一周して来たことになる。
往復650kmの旅、ずっと運転してくれた弟の車もこれが最後の旅になる、もしかしたら何かの節目の旅だったのかもしれない。


にかほ市側からの鳥海山、生憎の天気だったが時折雲の切れ間から新山が見える


今回コロナ禍の中、秋田県に入った、車移動と野宿なので大きな問題は無いと思いつつも極力人との接触を避けるために二泊三日の六食分の食事は全て事前に用意して行った。
それじゃ経済がまわんねえべと言う方も居るだろうがやはりコロナを拡散するリスクがゼロでは無い以上慎重に成らざるを得ないのだ、それが僕の性格なのだからしょうがない。

昔からの景観をそのまま残す子吉川を見て来て思うところはいろいろある、鳥海ダム建設が決定された経過や背景について地元の方たちに少しだけ聞くことも出来た、それらも含めた今日の風景が僕の記憶の子吉川として残り続けるのだろう。


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